終戦の記憶

8月15日は「終戦記念日」である。
戦後生まれが高齢者になり、15日は「終戦記念日」と知らない若者がいると聞き驚きました。
先日テレビで見た陸上自衛隊の「富士総合火力演習」 最新鋭の日本の戦機等を見ると、複雑な日本の現状を考えながら、1945年8月の事を思い出してしまいます。

小学2年生でした。昭和20年8月11日 午前10時頃、戦闘機が焼夷弾を投下、米艦載機P26・P38 約50機による久留米空襲がはじまりました。
町は火の海となり、被害面積は市街地のおよそ70%でした。
終戦まじかで米軍は残った爆弾を久留米で処理したなどと言われてます。
戦闘機の爆音と真っ赤に燃えながら倒れる家の様子は今でもはっきりと覚えております。

200m先まで爆撃を受けましたが、我が家は爆撃を免れました。
近い身内の戦死者もなく、私などは戦争の被害を一番受けていないのですが、
戦争の辛さは忘れることはありません。

いつもお腹が空き、夜中に「空襲警報よ」と起こされて、防空頭巾をかぶって明かりが漏れぬように風呂敷を掛けた電燈の明かりがほの暗い廊下を通って防空壕へ避難する毎晩でした。今でも何かの折に「うぉ~うぉ~」とサイレンの音を聞くと空襲警報を思い出します。

8月15日正午、天皇陛下のラジオ放送で戦争終結が全国民に発表されました。
延焼を防ぐために強制的に家を壊されたり、空襲にあった親戚や知人の6家族が我が家に仮住まい、皆でラジオを囲んで玉音放送を聴きました。神妙な顔で聞いている大人達の様子はただ事ではないと感じました。

「日本は負けた、もう空襲もないよ」と説明を受けましたが、敗戦と言う事がどういう事か当時はよく理解できませんでした。もう爆撃がないと聞き「うれしい!」と叫びたかったのですが、今は喜んではいけないのだと感じて我慢した事をいやに鮮明に覚えてます。

占領軍のMPが学校へやってくるからと大急ぎで教科書の文章を墨で塗りつぶしました。
紙や鉛筆はもちろん新しい教科書の配布もくじ引き、外れた私は母が裏紙を利用して写し書きしてくれた事を思い出します。今でも使用できる白い紙を捨てるのは罪悪感を感じます。

一つ間違えれば戦争が始まってしまいそうな日本、平和であってほしいと心から祈ります。

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この記事へのコメント

2013年08月29日 21:04
 こんばんは
>15日は「終戦記念日」と知らない若者がいると・・・
 :私もそのニュースを見てびっくりしましたが、戦後67年そんな時代になったのだとの、感慨もあります。
>200m先まで爆撃を受けましたが・・・
 :そんな体験がおありでしたか! なまなましい戦争体験ですね~ 私は戦後生まれですが、4歳上の兄が米びつを抱えて防空壕に入った話は母から聞きました。もちろん兄は覚えていませんでした。
>一つ間違えれば戦争が始まってしまいそうな・・・
 :そうですね~ ほとんどの人が、日常の生活や仕事の事で手一杯なので、政治に目が向いていないようですが、この先どうしていくのか、政治に関心を持っていきたいです。
つくし
2013年08月30日 16:03
時さん
こんにちは、コメント有難うございます。
歴史の授業といえば縄文や弥生時代を丁寧に習って、
明治以降は簡単にという記憶です。
今もそうなんでしょうか?近代史もしっかり勉強が必要な時代だと思います。
敗戦時の記憶を語れるのは、私共が最少年代でしょう。
お米はなかなか口に出来ず超貴重品でした。
そう言えば、戦後20歳の頃までお米の通帳が必要でしたよ。
シリア情勢も心配です。戦争が起こらないことを願います。

台風15号明日九州へ上陸との予報。
風はまだ大したことはありませんが、時折激しい雨が降り明日のお出かけを中止しました。
2013年08月31日 11:30
こんにちは、、
私達の世代は8月15日忘れることはできませんね、
でも子供達の世代はどうなんでしょうか?
久留米市はずいぶん怖い思いをされたんですね、幼い時の怖さは
忘れる事はできませんよね、まして戦争は、、、

私は11歳山間部で住んでいましたから、空襲警報はたびたびでま
したが、幸い空襲にはあいませんでした。
防空頭巾は学校と家とに用意してました、この日の天皇陛下のお
言葉をラジオで聞いた時はこれから先私達はどうなるのだろうか?
その晩は姉と布団の中で子供なりに心配して眠れなかった記憶が
しっかりと残っています。

今は物が豊富になり物の大切さがうすれ使い捨て、戦争は遠い
昔の話の様に忘れかけつつありますが、、、
もっと歴史を学んでほしい、教えて欲しいです、尖閣諸島、
世界の争い、毎日のニュースを見聞きしながらこれから国の方針
がどうなるのでしょうか?
子供達の時代が争いのない平和が続くことを祈るばかりです。
つくしさんお身体の調子はいいですか、お大事になさって下さい
いつもブログに寄って頂き有難うございます(^^♪、
つくし
2013年08月31日 16:31
ひまわりさん
こんにちは、コメント有難うございます。
少しお姉さまのひまわりさんは戦争に負けた事の意味がしっかりお分かりだったのですね。
防空頭巾は母の着物をといて手作り、今でもその柄を記憶してます。名札が縫い付けてありましたよね。
衣食住がすべてなかったあの時代を思うと、使い捨ての今、物の大切さを考えるべきだと思います。
世界中が平和であってほしいと願います。

お供え物をして、お龍前を作られ、お義母様の履物を並べて、お孫さんやお嫁さんとお迎えのひまわりさんらしいなんと優しいお盆でしょう。
気持ち玉がいまだにログイン出来ない、どうして?です。

2013年09月22日 17:33
こんばんは。
 わたしは、すれすれの戦後派で空襲も空腹も知らないで育ちました。
 ラジオ体操の皆さんから、空襲の話もよく出ます。
 地元がどんなだったかも。本当に、平和な世であってほしいと思います。
つくし
2013年09月23日 17:21
リセットさん
こんにちは、コメント有難うございます。
戦後派の皆さんの時代になりました。私共が空襲を語れる最年少でしょう。その恐ろしさを伝え、戦争のない平和な世界にしたいものです。

8月の海をエンジョイなさってお孫さんと楽しい夏の思い出が出来ましたね。
バイキングの写真も拝見、リセットさんはしっかり食のバランスに関心をお持ちなのですね。

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